宇和島城・桑折武家長屋門

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3月2日月曜日仕事も休みでしたので 久しぶりにお城山へ登ってみました。

以前登ったのは、宇和島城築城400年祭の時だったと思います。

桑折長屋門 遠く

城山北登山口にある家老桑折こうり氏武家長屋門(市指定有形文化財)の前に自転車を止めるとそこの前にカットに来て頂くお客様が、居られ話を聞くとお城の案内をされているという事で今、観光客の方と待ち合わせをされているところですという事でした。

今は、市内の至る所で宇和島伊達400年祭の幟を見かけます。

桑折長屋門 中間

この家老桑折氏武家長屋門は、藩政時代宇和島藩の家老桑折こうり氏の長屋門として使用されていたもので現在の桑折医院、当時は、間口約35m奥行4.1mで門扉一枚を見ても縦3.1m横1.3m実に立派なモノだったようです。

移築前昭和26年桑折長屋門
 移築前の桑折武家長屋門(昭和26年)写真:「宇和島の自然と文化より」

終戦後道路拡張の必要上さいわいにも戦火を免れたこの門を取り除くことになり桑折氏より市に寄付されたそうです。
時の市長国松福禄氏は、戦災復興事業費によって現位置に移転することになり中浦徳次郎が工事を請け負い昭和27年1月25日工事が完了しました。

現在は、移転場所が狭い為向かって左側の方を大部分を切り取って間口15m奥行4.1mとしたので原形はひどく失われました。

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これは、とても残念ですね。そのままの状態で移築できれば良かったのですけどね。

門の向かって右室は厩で左室は門番と家付の使用人はじめ仲間・小者が居住していたそうです。

桑折長屋門 さらに近く

この門の建造時期は不明の様ですが、屋根瓦の定紋なること等より元禄16年(1703年)以後に桑折家丸之内に屋敷換えとなった際に改造されたものではあるまいかと思われている様です。

また腰板等奥州より取り寄せたモノだそうです。

ということから江戸中期のモノと推定されるそうです。

ちょっと立ち話をしてお先に登らせて頂きました。

今日の「宇和島の散歩道」は、「宇和島城・桑折武家長屋門」のお話でした。

[宇和島城・桑折武家長屋門地図 Simple Map]

愛媛県宇和島市桑折武家長屋門

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宇和島城・桑折武家長屋門」への0件のフィードバック

      1. 昔の職人は凄い!親父も職人で差し金で計算していました。算数の先生はバケツの形は計算では無理でした(笑)親父は流石に宇宙の清家先生の同級生です。

        1. 高橋真慈さんへ
          メートル法の(尺貫法廃止)法律改正の時この「さしがね」残すために永六輔さんがラジオを通して全国的運動を展開されたそうですね。
          その運動が実り、現在日本の建築文化が消えず、現在も「尺目盛のさしがね」が残され日本中の大工さん達が現在でも尺目盛り付き差し金が使うことができるそうですね。

          1. 一時期、親父もすべてメートルに直してました。畳も襖も二メートルの一メートルにしたらどうか、という話もあったらしい。

          2. 家の図面がメートルですね!昔なら坪いくらの家を建ててくれという注文ですよ(笑)

          3. 高橋真慈さんへ
            今まで坪いくらだったのが、メートルで言われると実感がわかないでしょうね(^^;)

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